守山正樹.対話的イメージ形成法による保健・健康教育の試み 一学習者が外化・表出した受療行動イメージの実態と、そのフィードバックによる認識深化の誘発.学校保健研究 Jpn J School Health 38 ; 1996 ; 434 - 449
対話的イメージ形成法による保健・健康教育の試み
検索語 健康関連イメージ、健康関連行動、参加型学習、医学生、認識の過程、ヘルスプロモーション
緒 言
本橋の著者は医学部の社会医学系に所属しているが、そこで直面するのは、保健や健康に関連した課題を学生に講義する時に、学生が示す“無関心さ”である. 一般的に言って学生が“健康・保健・環境”に無関心なのはなぜだろうか? こうした話題が、遺伝子治療など最先端の生命科学/基礎医学に関する話題に比較 して、日常的で地味であることが、理由の一つと考えられる.一方、教育の総量が既に過剰な水準に達している可能性も考えられる.すなわち受験戦争を終えて 医学部に入学した学生は、医師になるために以前にも増して大量の知識を学ばなくてはならない1).医学に関する知識のみならず、生命倫理教育2)、喫煙防止教育、食生活教育、エイズ教育3)、性教育等も学生を待ち受けている.
ではこの無関心さを解消させる手だてはあるのだろうか? 一概に無関心と言っても、その範囲や程度、あるいは背景を理解するのは容易なことではない.さら に考えると、結局は教師の側にも学生のことが分かっていない、という現実が見えてくる.医療と社会の接点で保健・健康について生き生きとした理解を生み出 そうと意図するなら、学生の物の見方を知り、それから学ぶのは必須のことであろう.だが医学教育において、片側で専門知識を学びつつある学生が、自己の健 康や疾病に関し、実際にどう物を考え行動しているか、に関して実証的なデータは極めて少ない.
そこで本研究では、学習者が無関心の状態を脱し、“保健・健康に関した身近で日常的な話題”に関心を持つのを支援する方法の開発を試みた.
本研究における問題理解・解決の方向
社会や健康に関連した日常的な主題を講義しようとしたとき、しばしば遭遇するのは「これから学習しようとする事項に全く無知な学生は存在せず、大抵の学生 は何らかのことを既に理解し考えている」という事実である.そこで本研究では、“学習への無関心さ”の背景にあるとられる“過剰な教育”とは逆の方向、す なわち「知識を詰め込むのをいったん停止し、教え込む代わりに、学生が既に考え・理解していることの内容を、こちらから問いかける」という方向を採用す る.
A.対話的イメージ形成の試みと、それによって
外化・表出された受療行動イメージの事例研究
1.研究方針
風邪などの軽微な疾患への罹患は、通常は学習者が取り立てて関心を待つほどの出来事ではなく、学習者の意識上では日常性の中に埋もれている.しかし一見日 常的なことを丁に観察し、それが「当たり前な、ありふれたこと」ではなく、「個性的で興味深いこと」と把握できるなら、保健・健康の学習を興味深く行うた めの手がかりができよう.本研究では、対象者の日常性に触れるきっかけとして“風邪で発熱した時の行動”を選び、それを目に見える形として取り出すことを 試みた.
2.対話的イメージ形成法の開発
(1)問題提起
頭の中にイメージとしてある日常的な認識・行為を外化し、具体的に表現するにはどうしたらいいだろうか? 10 年ほど前よりこの問題を考え始めた著者らは、研究の比較的初期の段階で、佐藤隆博が間発したISM教材構造化法に出会った4).同法は、複数の学習要素間 の階層性(上位/下位)を判断し、それに基づいて階層的な図を描くもので5)、教育心理学・認知科学的な手法を教材研究に適用して、学習者が持つ概念・知 識をダイアグラム化するコンセプトマッピング(概念の地図化)研究の流れを汲むものである.著者らはこの方法で得られる構造チャートが、保健行動の研究に 応用できると考え、①可能な行動要素を組み合わせた関係マトリクスを用意する、②対象者は行動の先発・後発性を判断し、マトリクスに記入する、③マトリク スをパソコンに入力してチャートを描かせる、という手順で、風邪罹患行動の分析を行ってきた6).しかし、元来が教科教育における体系的、階層的な知識情 報の可視化・表示法として開発された方法を、状況依存性と個別性の高い日常的な保健行動の実際に適用しようとしても、当てはまらない場合もある7). 本 研究では再度、研究の原点に戻り、対象者の内発的表現を観察することから検討を開始した.
(2)自由なイメージ形成を支援する最小限の枠組みとは?
予備研究では数名の学生に白紙と鉛筆を渡し、風邪で発熱した時の行動を自由に表現してもらった.このような状況で、紙にすぐに何かを書き始める学生もいれ ば、紙のどの当たりにどのくらいの大きさで書いたらいいのか分からない、と考え込む学生もいる.“自由な表現”といっても、紙の大きさを統一したり、紙の しかるべき位置に記入欄を印刷する程度のお膳立ては必要なことが分かる.表現内容を見ると、文章を書く学生(表1上段a)、略画を描く学生(表1下段b) がいる一方で、表現に戸惑う学生も出てくる.試行錯誤の結果、自由に表現するときの最小限の誘導として、①まず最初に取りうる行動に関し、キーワードを列 挙する、②キーワードを矢印で連結する、③A4の紙に印刷した空欄の中に表現する、の3点を採用した.
(3)イメージ図の表出を支援する対話的環境の設定
自由なイメージ表出を支える最小限の枠組みは出来たが、それがあれば必ず描けるというものではない.特に日常生活と縁の深い事項に関するイメージの場合は、学習者が自己をじっくりと見つめられる環境が必要である.
著者は長崎大学で担当する社会医学の講義形式を“情報伝達”から“情報フイードバックによる自発思考・対話の重視”へと切り替えることを目指し、通常の情 報伝達を中心とした講義に加え、「学習者に講義の課題に関連した認識をイメージマップとしてダイアグラム化してもらう→講義後に回収した各マップに著者が コメン卜を加える→次回の講義の冒頭にマップを個別の学生に返却する」という試みを、過去三年間に渡って段階的に導入した.特に学生の記述に対して著者が コメントを加える際は、記述の正誤を述べるのではなく、学生が自由に自己の認識や意見を表出することへの支援に努めた.加えたコメントの書式(例)は以下 のようなものである:「~とは、いい処に気付きましたね/~は、ユニークな発想です/~のように具体的に考えるのはいい事だと思います/~は考えさせられ る指摘ですね」(以上は、学生が深い思考をしていると判断された場合);「~をもっと具体的に考えでみて下さい/なぜ~のようになるのでしょうか/~は興 味深い視点ですが、更に言えばどういうことですか」(以上は、学生の思考が不十分だと判断された場合).このような対話形式のコメントを継続した結果、学 生から返事が返って来ることも増え、学生との交流が成立していった.
3.対象と方法
1995 年の4月から10月までの間、長崎大学医学部3年生を対象として、週一回120分の社会医学講義を実施した.講義では、健康・環境・保健・予防・福祉等の 分野につき、身近な問題を取り上げ、学生が社会医学的な思考方法に親しむことを目標とした.各授業時間には上述した“対話的イメージ形成法”のもとに、 1~2個の具体的なテーマに関して演習を進めた.
本研究のデータは、6月14 日の講義から得られた.受療行動の社会医学的意義について導入をした後、空欄を印刷した紙を学生に配布し、“風邪で発熱した時の思考・行動”をイメージ マップとして表現してもらった.取りうる行動の列挙から、描画の終了までに20分を要した.講義終了後に89名が用紙を提出したが、うち23名は遅刻・中 途退席・講義への注意力低下等の理由で記述が不十分であった.残りの66枚のマップ中、鉛筆の字・線が薄くて読めない等の理由から、14枚のマップを除外 した.得られた52枚を標本母集団として、そこからマップを一枚ずつ無行為に抽出し、結果の概要を一週間後に学生にフィードバックすることを目標に、順次 デ一タ整理作業を進めた.計36枚のマップについて連鎖の読みとりとキーワードのデータベース化が終了した時点で、データ整理作業を打ち切り、分析に移っ た.
4.結果
(1)キーワード別の検討
36名の学生のイメージマップ(図1)は形態、或いはキーワードの種類・数のいずれから見ても多様であった.マップ当たりのキーワード数は、最小値が4、 最大値が17、平均値は8.5(標準偏差3.04)であった.
マップの概要を把握するために、各マップからキーワードを抽出し、それを10の群に分けて頻 度順に表2(左側)に示す.上位5個のキーワード群はいずれも身体の機能と関連が強く、“寝る・休む”、“薬を飲む”、“食物・栄養・水分等の摂取”、 “体温を計る”の順に、50%以上のマップに認められ、“体温を調節する”、“病院へ行く”がそれに続いた.下位のキーワード群には社会・環境的な内容が 多く、特に第7位の“認識・気配り”、8位の“他者とのコミュニケーション”には、マップ作成者の個性が反映されていた.
表2(右上欄)には、“認識・気配り”に関連して11 名(30.5%)のマップに観察された12の表現例を示す.動詞表現としては、“感じる/認識する/考える”の3種類が各二回ずつ、“気にする/気をつけ る/言い聞かせる/思う/調べる/反省する”の6種類が各一回ずつ使用されており、風邪の罹患に対応した繊細な思考・配慮が認められた.
表2(右下欄)には“他者とのコミュニケーション”に関連して、8名(22.2%)のマップに観察された表現例を示す.コミュニケーションの相手としては、13の表現例中、親が5例、友人が4例、誰かが3例、及び彼女が1例あった.
(2)マップ全体としての特徴の検討
各イメージマップ中のキーワードの分析で、集団として見た行動の概要を知ることができる.しかし行動連鎖をキーワードに分解した状態で分析する限り、各個 人における連鎖自体のユニークさに触れることはできない.そこで各行動連鎖をカード化した上で、連鎖の全体的な特徴を常に意識しながら分類を試行した結 果、36のマップはAからIの9類型に分けられた(表3).
最初の3類型には風邪への対照的な心構えが現れており、Aはそもそも殆ど風邪をひかない型(非経験型)、Bは風邪に対して体を張る型(体張り型)、Cは自 己認識・内省を大切にした思索型、と特徴化できた.続く3類型は、風邪の身体症状への働きかけを重視する点で共通しており、Dは自覚症状パターン化型、E は発熱による行動分岐型、Fは受療先行型、と区別できた.
最後の3類型では、人間・人間関係への配慮が前面に出ており、Gは周囲への気配り型、Hは対人接触重視型、Iは自己実現型、とまとめられた.
B.受療行動イメージのフィードバックで生じた
学習者の認識深化の事例研究
1.研究方針
風邪という日常的な健康障害に対して学生たちが示した多様で個性的な対応(図1)を見る限り、“今の学生は健康・保健といった話題に関して無関心である” とした緒言の部分での作業仮説は当てはまらない.そこに見え始めたのは、知ることを楽しんでいる自発的な学習者としての学生像である.著者自身はすべての 学生のイメージマップに目を通した上で、このことを実感したわけだが、マップを集めっぱなしにしておいたのでは、学生自身はそのことを認識できない.そこ で同じクラスの学生が作成したマップの実例を学生自身にフィードバックすることで、さらに学生との対話を継続した.「学生は自発的な学習者である」とする 新たな仮説が正しければ、フィードバックは学習者の側に更に変化を引き起こすはずである.この研究Bでは学生の認識変化に関して、事例研究からの質的な分 析を行った.
2.学習者に起こる気付きの仮説モデル設定
学生の自発的な思考を大切にした講義を開始して以来、著者は学生が講義室において、「教えられたこと以上のことに気づく」という現象に何回も出会った.こ のような気付きは、当初は特に著者が意図して起こしたものではなく、自然発生的に観察された.しかもこの気付きは、学生が自己のマップを再確認するのか、 他者のマップに目を通すのか、によって異なる.自己のマップを再確認する場合、よく観察される発言としては、「自分は~だ、と改めて思った」、「自分がこ のような表現をしたのは、~だからだ」等がある.一方、他者のマップに目を通し始めた学生は、当初戸惑いを示す場合もあるが、しばらくすると「このマップ は自分と似ている/以ていない」など他者のマップに個別に反応し始める.更に多くの他者のマップに触れることで、「みんなは~のように孝えている」など、 他者のマップに共通する特徴に気づくこともある.このようにして、自己と他者のマップの特徴に気づいた学生は、再度自分のマップに戻って、「他者と比較す ると、自分は結局~だ」など、初めに持っていた見解を再構成することもある.このような学生の反応をフローチャート的に表現し、全体を“気づきに関する仮 説モデル”として図2(上段左)にまとめた.
3.対象と方法
イメージマップ作成(研究A)の一週間後、学生一人一人に自身のマップを返却し、同時にマップ事例集を配布した.この事例集には、研究Aで得られた36 枚のマップを縮小コピーして掲載した(図1).各学生はまず自分が前週に作成したマップを確認した上で、更に同級生36名のマップ(中に自分のマップが含 まれている場合もある)について事例集で目を通した.各学生はこれらのマップ読みとりを終えた後、別に配布された記入用紙中の空欄に、“気づいたこと/考 えたこと/感じたこと”などを自由に記述した.読みとり開始から記述終了までに20分を要した.
講義終了後に84 名が用紙を提出したが、うち21名は記述が不十分であった.得られた63名の記述中、鉛筆の字が薄くて読めない等の理由から、13名の記述が除外された. 残りの50名分の記述を標本母集団として、そこから無作為に順次一名分ずつの記述を抽出し、データベース化を進めた.予定した期間内に処理を完了できた計 32名分のデータについて、分析を行った.
各記述はセンテンスに分解し、各部分と前後の意味関連とからモデル(図2上段左)の5構成部分のいずれに該当するかを判断し、1入ずつの当てはめを行った.当てはめの過程を図2(上&中段)に示す.
4.結果
モデル当てはめの対象とした32 名分の記述が完璧だったわけではない.モデルを構成する5つのコンパートメントすべてに対応する記述が認められた学生は図2中段に示した例だけだった.集 団としての当てはめ状況を見ると、記述がみられたコンパートメント数の平均値は3.1(標準偏差0.793)であった.図2(下段)にコンパートメント別 の記入割合を示す.コンパートメントB(自己の思考の特徴化)とD(他者の思考の全体像把握)に関しては80%以上の学生が、またC(他者の思考の個別位 置づけ)とE(自己と他者の思考再認識)に関しては50%以上の学生に記述が見られたが、A(自己の思考の背景想起)に関しては、記述率は21.9%に留 まった.
すでに述べたごとく、このモデル全体が気付き・発見に関連しているが、中でも気づきの中心的な部分を占めているのは、DとEである.そのうち表4には “D;他者の思考の全体像把握”に関連した表現事例を示す.他者のマップを見る中で生まれる気づきは、①共通性に関するもの(50.0%)、 ②多様性に関するもの(33.3%)、③類型性に関するもの(16.7%)、の三つに分けられた.
表5には、すべてのマップを眺めた上で到達する思考の段 階、“E;自己と他者の思考再認識"、における表現事例を示す. 29の表現事例はそれが触れている思考の側面によって、①診断(17.2%)、②感想 (13.8%)、③反省(24.1%)、④発見(17.2%)、⑤その他(27.6%・)の5つに分けられた.
考 察
1.医学生をどのように理解するか
本研究では方法・モデルの開発と、そこで得られた事例への質的な分析に重点を置いた.“無関心さ”を定義し、その程度を数値化・計量する、といった解析的 な手法で研究を進めたわけではない.学習者の無関心さがどの程度変化したかについては、今後別な方向からの研究が必要であろう.一方、質的な側面からは、 本研究によって具体的な学生像が得られた.特に表2(左)に示したキーワード群中、第7位から第9位のものは、出現頻度は全マップの三分の一以下である が、学生の思考と生活背景を知る上では多くの手がかりを与えてくれる.
(1)マップのキーワードから浮かび上がる医学生像
第7位の“認識・気配り”では(表2右上段)、風邪をひき始めた時点での“(風 邪をひいとかどうかを)認識する”、風邪の症状が明らかになってきた時点での“(喉の痛みを)感じる/気にする”と“原因を考える”、風邪にすっかりか かってしまった時点での“(人にうつさないように)気をつける”、“(休んでも大丈夫かと)授業内容を調べる”など、風邪の過程に対応した表現が見られ た.第8位の“他者とのコミュニケーション”の場合(表2右下段)、3名の学生が挙げた5事例に親を対象とした依頼・依存が認められ、風邪に開する直接的 な問いかけ(“指示”、“飲むべき薬の種類”、“風邪が治らない理由”)が中心となっていた.これらの学生は、いずれも両親のいずれか一方、あるいは両方 が医師や看護婦などの医療関係者であった.別な3名の学生が挙げた4事例は友人に関するもので、うち1例は「薬をくれ」という依頼であったが、後の3例は 「(ただ)電話する、電話して~と言う」など対話への要求を含んでいた.依頼・依存を反映した“他者とのコミュニケーション”と対照的なのが第9位の“忍 耐”であり、“がまんする”が2例、“うんうんとうなる/おとなしくしておく/がんばる/家に引きこもる/気合いを入れて吹き飛ばそうとする”が各1例見 られた.
学生の社会・環境的な背景が明確な第7位以下のキーワードに比較して、第1位の“寝る・休む”から第6位の“病院へ行く”までは、風邪への身体的・生物的 な対処が中心となっており、そこから学生の思考と生活背景を直接に読みとるのは困難である.しかし、身体的・生物的なキーワードと言えども、間接的には学 生の生活背景を反映している.例えば、食物・栄養・水分等の摂取に関して、挙げられている対象を見ると、“栄養(のあるもの)”が7例、“ご飯”が3例、 “アイスクリーム/水分/美味しいもの”が各2例あり、以下、“お粥/ビタミンC/プリン/ポカリスエット/温かい牛乳/果物/しょうが湯/茶めし/食べ たいと思うもの”が各1例あった.
以上のようなキーワードから浮かび上がる医学生像について、この半年ほど機会あるごとに大学の同僚や著者が所属している研究グループに見解を求めた結果、 「率直だ/微笑ましい」などの肯定的なものから、「医学生として頼りない/子どもっぽすぎる」などの否定的なものまで幅のある意見が得られた.
(2)気づき方から浮かび上がる医学生像
研究Aで得られた「率直さ、子供っぽさ」という医学生像に対し、研究Bからは異なった医学生像が見えてくる.20 分足らずの限られた時間に、自分が先週作成したマップを確認し、他者が作成した32枚のマップを読みとっていく中で、学生は自分がどのように物を考えてい たかに気づき、更に自分の思考を他者との関連で再認識・再構成していく.この過程で、様々な論理が駆使されている.表4に示した“D:他者の全体像把握” に関しては、学生がマップの事例集を見ながら、頭の中で32枚のマップを様々に分類し、そこに規則性を見いだそうと努めている様子が伺える.①共通性の気 づきに関しては、“みんなは~だ”、“~が多い”、“殆ど(全て、共通して、全体的に)~だ”のような表現が認められた.②多様性に関しては、“人さまざ ま/それぞれだ”、“○の人もいれば、△の人もいる”のような表現が、また③類型性に関しては、“~のパターンがある”、“~のパターンに分かれる”な どの表現が認められた.マップを見ながら考えてきたことの最終段階が、表5の“E;自己と他者の思考再認識”である.この場合、他者について考えてきた内 容が、再度自分自身に投影され、新たな捉え直しが行われている.その捉え直しが自分を中心に起こった場合に、結果として①(自己)診断、②感想表出、③反 省等に関連した表現が生まれたと考えられる.一方、捉え直しから、自己と他者について、さらに高次の気づきが生まれる場合もあり、それが④発見と分類され た.
(3)医学生とは?
本研究の結論として得られるのは、風邪をひいた時には「率直だが、子供っぽい」側面が現れる一方で、いったん自己と他者を見つめる機会が出来ると、そこから「論理的に考え、自発的に学ぶ」側面も現れる、二面性を持った医学生像である.
医学部三年生と言えば、すでに解剖、生化学、病理といった基礎医学の主要な科目の履修をほぼ終了し、診断学などの臨床医学の科目を学び始めている段階であ る.感染症についても、専門的な知識を身につけ始めている.この様に知識の面では専門家・職業人としての医師に近づきつつある学生が、その一方で風邪をひ けば「ある時は母親に電話し、ある時は栄養のあるもの・ご飯・アイスクリームを食べる、ある時はウンウンうなって治す」等々というのは、どういうことなの だろうか?
本研究の結論(二面性を持った医学生像)は、それが示唆され始めた研究の早期段階では、著者にとっても、また研究室の同僚にとっても意外なものに思えた. しかしその後の進展の結果、それらの一見相反する状態はいずれも現実の医学生の一断面であることが、明らかになりつつある.要するに医学生とは、医師とい う専門家・職業人としての意識と、十代後半から二十代前半の普通の若者としての意識とが、共存している状態と言える.昨年にこの結果が得られて以来、著者 は非常勤講師をしている他学科の学生(保健婦、或いは栄養士の養成コース)、或いは医師を含む保健医療従事者の再教育の場面で、機会があれば同様の聞き取 りを行って来ているが、それによれば“異なった意識の共存状態”は、程度の差はあれ、医師だけでなく他の専門家教育においても、また専門家になってから も、有り得ることが示唆される.ただ医学教育で問題とすべきは、これまで教師も学生もこの共存状態に気がつかないまま、いわゆる専門知識の量を増やすこと のみに目が向き、普通の若者としての感性や論理は放置され、忘れ去られてきたことであろう.社会医学を教える教師と学ぶ学生の双方がこの共存状態を外化・ 意識化し、それを再構成・統合する方向へ進むことが、“学生の無関心さ”という問題を生じさせない最良の途と考えられる.
2.本研究における方法論の位置づけ
本研究は「学習者の無関心」という問題の理解・解決を目指して行われたもので、思考や認識に関する一般的な理論構築を目指した訳ではない.しかし、結果と して学生の認識にまで踏み込んだ本研究が、思考や認識に関わる既存の研究の流れに無関心である訳にはいかない.以下では、著者が研究の過程で遭遇した課題 を中心に、考察を進める.
(1)“教育心理学・教育工学における教材、知識のダイアグラム化研究”との関連
本研究で行った風邪罹患行動のマップ化は、表現型から見ると教育心理学・教育工学研究における“概念の地図化”と類似している.実際、著者が本研究を開始した当初は、保健・健康に関する認識のダイアグラム化に際して、教育情報工学の流れを汲むISM 教材構造化法5)を出発点とした.学習に関する心理学が、刺激一反応、強化など学習の外的側面から、学習の意味、認識など内的側面に関心を転じて以来、学 習者の知識構造は主要な研究主題の一つとなり8)特に知識構造を具体的に把握する試みは、例えばオースペル、ノバックらや佐藤隆博らの仕事によって広く知 られている.既存の学習内容、或いは今後学習すべき内容のいずれを考える際にも、(学習の意味」と「認知的枠組み」が重要であるとするオースペルの指摘 8)はノバックに受け継がれ、学習者が持つ考えや概念の間の認知的な関連性を表現する方法として、コンセプトマッピング法(概念地図法)が開発・体系化さ れた9).わが国では、佐藤隆博らによる独自の開発と応用が進んでいる5).こうした方法は知識の階層性を前提とするため、教師や教材の情報がトップダウ ン的に学習のゴールを規定する学校教育の場面では、教師のマップは学習の目標・規範の具体化と考えられる一方、学習者のマップは規範的マップと比較の上で 正誤や達成度が評価される10).しかしダイアグラム化される情報が日常生活における個人の行動や思考内容であり、マップが個人の優劣や達成度ではなく、 ユニークさを表すという状況の下では、マップはまったく異なった意味を担う.本研究のマップは、いわゆる概念地図との表面的な類似性にも関わらず、それと は別のものと考えられ、概念地図とは異なる方向付けが必要となろう.
(2)“Participatory Rural Appraisal に関する研究の流れ”との関連
マップに表される情報が階層化された知識ではなく、マップ自体も規範や評価尺度としての意味を持たないとすれば、マップの意味は何だろうか? 本研究で最 初から問題となったのは、健康・保健・環境等に関連した日常的な知識をいかに「当たり前なこと・ありふれたこと」とせず、その意味を個性的に捉えるか、で あった.このために用いたのがイメージマップであり、研究Bで学生たちが思考を発展させるきっかけになったのが、36 枚のマップで構成された事例集であった.著者の観察によれば、学生たちは強い興味を持ってこれらのマップを眺め、その結果として表4、5に示した気付きに 到達した.専門家的視点からのトップダウン的なマップの使用に比較して、本項のように学習者が自らと周囲の状況に関連して、ボトムアップ的に認識・イメー ジを形成してゆく視点はこの数年間に急速に発展しつつあるParticipatory rural appraisal (PRA)研究に認められる.
PRAは「地域の人々が自らの生活と状況に関する知識に洞察を持ち、知識の共有・深化・分析を自ら行い、更に計画・行動を行うこと」の支援を目指した接近方法の総称である11). Rapid rural appraisal(RRA)、Rapid assessment procedures (RAP)12)など複数の研究・思想の流れから生まれたPRAは、1980年代における誕生から現在に至るまで急激な展開・発展を続けている11).現 在PRAが最も脚光を浴びているのは、NGOが活躍する発展途上国の農業開発に関連した分野であるが、保健や健康の分野でも注目を集め始めている11). PRAの最大の特徴は、その徴底したボトムアップの発想である.通常の科学的知見の伝搬が、分野を問わずに北の先進国から南の発展途上国へと、また専門家 から非専門家へと生じるのに対し、PRAでは南から南、南から北、非専門家から専門家というこれまでにない方向の流れが生じている11).このPRAの動 きで注目すべきは、様々な情報の洞察の深化を目指してマップやイラスト等を用いた知識や認識の視覚化が重視されている点である11).本研究におけるマッ プの使用は、それが発展途上の農村地帯における住民ではなく、医学部学生を対象としている点でPRAの主要な流れとは異なるが,対象者からのボトムアップ 的な発想の支援を目指している点では,共通部分が大きい.
図という共通の表現様式を用いながら、健康・教育・心理等に関連する伝統的な学問分野では、専門家的な見地からトップダウン的に知識の構造を解明し理論構 築を目指す傾向が強いのに対して、PRAではボトムアップ的に住民の発想を支援し、それを何にも増して重要なものと考える.この差は何に起因するのだろう か?
保健・健康の分野で、概念をトップダウン的に図示する例として、すぐ思いつくのはHealth Belief Model13)等の概念モデルである.概念モデルは情報を集大成して作り上げたものであり、一般的な傾向に関する説明力は大きい4).しかし講義をして いて、学生が概念モデルに個人的な親しみや共感を覚えることは考えにくい.では学生自身にマップを描かせれば、それが即ボトムアップになるかというと、そ れほど事は単純でない.“描く過程を専門家が監督し、得られたマップも専門家の判断・研究材料としてのみ意義がある”という状況下では、トップダウン的な 視点はそのまま維持されている.
一方、この対極にあるのが、“対象者自身が自由に描いたイメージマップ”だと考えられる.手書きのマップは、描いた人の思考を具体的な形として表すことが知られている14). 本研究の結果は、マップが当事者の思考を反映するだけでなく、それを見る人の思考にも影響を与えることを示唆するものである.マップに描かれた他者の思考 に触れる人は、そこに自分が風邪をひいた時の体験を重ね合わせて、発展的に物を考えられるのであろうか? PRAの動きの中ではこうした点に関しても、様 々な試行錯誤が積み重ねられていると考えられるが、PRA自体は認識の科学を目指しているわけではなく、重点は実践に置かれているため、“図的表現による 情報の視覚化がボトムアップのコミュニケーションを支援する過程”については解明が進んでいない.特に保健・健康教育分野における手書きイメージマップの役割について早急な研究が必要とされている.
3.今後に向けて
学習者を知識の受動的な吸収者と見なすのではなく、学習者の自発性に期待し、それに働きかける方法自体は、決して新しいものではない.古くは2000 年以上前のギリシャにおいて、ソクラテスはアテナイ市民に対し、相手を教え導くのではなく、ただ対話の初めに問いを投げかけるだけの方法によって、相手に 正しい理解を納得させる試みを実践していった15).1960年代から始まった世界的な教育改革の流れの原点となったウッズホール会議(1959年)のま とめである「教育の過程」において、ブルーナー16)は子ども自身の思考の方法を尊重することの意義を改めて強調している.その後1964年には、アメリ カに於ける同会議の学校保健版とも言える会議がSchool Health Education Study Writing Groupの主催によってカルフォルニア大学で開かれ17)、その影響が全世界に波及したことを考えるなら、現行の保健・健康教育の根底に、学習者の自発 性に期待する発想があることは疑いない.しかし、教育の技術的な側面に関連した理論やモデルの急速な発展に比較して、学習者の内発性に関する研究は不十分 である.特にわが国においては「自立した人格として学習者が、保健・健康に関して展開する認識と思考の具体的な過程」に関する研究は、例えば小倉学の仕事 18)を別にすれば、あまり見当たらない.そこで本研究では学習者の内発性に注目した。
本研究の対象は大学 生であり、結果を児童や生徒の場合に外挿して考えることは、慎重になされなければならない.しかし、本研究で明らかになった医学生の「率直だが子供っぽ い」側面も、「論理的に考え自発的に学ぶ」側面も、ルーツが児童・生徒の時代にあることは、ほぼ間違いない.この時期の子供たちを一人の自立した人格とし て位置づけた上での、対話的な実証研究が必要とされている.
文 献
1)玉置憲一:大学改革、医学教育を中心として(堀編)、わが国の大学医学部白書’95、0-19、全国医学部長病院長会議、東京、1995
2)土山秀夫:現代の生命像、(猪山他編)、長崎から“いのち”を考える、5 -12、 1990
3)国立大学保健管理施設協議会エイズ特別委員会: エイズー教職員のためのガイドブック、99-107、 国立大学保健管理施設協議会出版担当事務局、東京、1993
4)守山正樹、松原伸一:対話からの地域保健活動、篠原出版、東京、1991
5)佐藤隆博:ISM教材構造分析、(佐藤編著)、ISM構造学習法、7 -66、 明治図書、東京、1987
6)守山正樹、松原伸一、曽我八重美ほか:保健行動連鎖の可視化・認識の試み、日本公衆衛生雑誌、37 : 509-516、 1990
7)守山正樹、松原伸一、岩田孝吉ほか:保健行動のISM構造化、電子情報通信学会技術研究報告、 90(E T29):1-6、1989
8)Ausubel,D.P.:The role and scope of educational psychology. ln Ausubel, Novak &Hanesian(Eds.)、Educational Psychology、 3-37, Holt, Rinehart and Winston, New York, 1978
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A Trial of Participatory Leaming in Health Behavior Studies Using lnteractive Mapping of Health Related lmages and their Feedback
Masaki Moriyama
Dept of preventive Medicine &Health promotion,Nagasaki university School of Medicine
The aim of this paper is to report how medical students can gain positive study interests not only for high-tech medical science but also for health related issues in everyday life. For this purpose, the author switched his educational strategy from lecturing on information to asking students about their unique life experience related to health and disease. In order to reveal the students' unique perspective of health, which is embedded in their everyday life, students were asked to visualize and express their images related to a variety of daily situations.
In the first phase of the study,thirty six junior medical students reviewed their typical situations and behaviors when they caught the common cold,and visualized their images as a map. The typical image map was constructed by keywords (MN 8.5 SD 3.04)and arrows connecting keywords. Among the tota1 306 keywords, the most frequently used were ‘rest and sleep’, followed by ‘take medicine’,‘uptake of foods and drinks',‘take body temperature ', ‘adjust the body temperature', ‘go to hospitals',‘think about sickness',‘communicate with other people ', ‘endure',and‘adjust environment'. Some keywords accompanied additional descriptive words which reveal the details of students' lives. For example,on the subjects of communication,the most frequently mentioned was a friend,followed by parents. The details of maps showed rather naive and/or immature aspects of Japanese medical students.
0ne week later, the individual image maps were given back to the corresponding students. Students were also given the collection of 36 image maps made by their peers as feedback. Students checked and compared their own maps and their peers', and wrote down essays relating to personal and general characteristics of health related concepts. The content analysis of students' essays revealed the diversity of thinking process of students when they encounter health related problems in everyday life. The details of essays showed logical and creative aspects of medical students.
The present study introduced the new educational strategy of visualization and accompanying feedback of health related images of medical students,and as a result, two different dimensions of Japanese medical students were revealed such as `rather naive and/or immature' and ‘logical and creative'. These two dimensions are impressive not only to the researcher but also to the students,because in the traditional way of Japanese medical education, students' viewpoints have not been considered. Further cultivation of both of these dimensions should help the sound growth of students in medical education.
Key words; health related image、 health related behavior、 participatory leaning medical student、 process of cognition, health promotion