b 触知生活調査法_触覚から生活の中へ

毎日の生活では、忙しさの中で 時間が 飛び去って行きます。

そんな時間の流れを 変えてみませんか。

触覚を通して考えることで、

あなたは、これまでと異なる、

もっとゆっくりした時間の流れに、接することができます。

あなたの 現在の 生活 の中へ、

あなたの 過去の 生活の記憶 の中へ、

一歩 入り込んでみませんか。

あなたの手の触覚が、生活を実感する入り口となります。

触覚による生活マップ


触覚を介した生活調査法の開発

守山正樹・西原純

民族衛生Jpn J Health & Human Ecology 2008;74(4):178-191

2008年7月

要約 : 生活調査方法の多くは文字・視覚情報が優位の調査方法を採用している。しかし“感覚の均衡的活用”という人間存在の原則を考えるなら“視覚以外の感覚を活用した生活調査法”があってよい。そのような新調査方法は、感覚が障がいされている人々への調査を可能にするであろう。また、異なる感覚の活用は、従来とは異なる次元での生活調査を可能にするかもしれない。本研究では触覚に着目して新調査法を開発し、さらにその評価を試みた。

    開発としては、F大学での視覚障がい体験実習を通して触覚の可能性を検討し、2006年7月、新調査方法(触知生活マップ)の確定に至った。同方法の母体は生活関連のキーワードを操作して生活を考える二次元イメージ展開(TDM)法である。上記の視覚障がい体験実習で得られた4経験則(①触覚から生活を甦らせる、②Haptic Glanceを活用する、③日用品から生活を振り返る、④日用品の配置で生活を語らしめる)とTDM法を総合した結果、触知生活マップ法が出来上がった。

    新調査法(触知生活マップ法)の適応範囲を探るべく、まず視覚障がい者3名に聞き取りを行った結果、視覚障がい下でも問題なく、生活の細部と全体について調査が出来ることが示された。さらに新調査法が、従来の言葉による調査法とは異なる方向から生活への接近を可能にするかを確認すべく、晴眼の学生(男子5名、女子2名)を対象に、参加的実験を行った。言葉或いは触覚という二つの異なる手がかりから生活を考えることで、同一の生活場面がどのように異なって想起・理解されるのかを、比較した結果、触覚による場合の方が、生活場面の細部がよりリアルに想起される傾向が認められた。既知のはずの自己の生活行動が、改めて新鮮に、再確認・再認識されていることも伺えた。

    触知生活マップは、対象者の視点に合わせて、生活場面を具体的に聞き取るNarrativeな調査方法として意義がある、と結論される。


1 はじめに


    様々な感覚が相互に、また統合した形で、人間の存在や生活と健康に決定的な役割を果たしていることは、古くはアリストテレスによって指摘され(Everson、1997)、ルネサンス以降ではまずルソーによって再評価がなされている(Davidson、1970;中村、1995)。「感覚の均衡的な発達と統合」は近代的な教育原理としても重視され、「感覚を刺激することが知能獲得に寄与する」との発見から、独自の教育手法を確立したモンテッソーリの考え方(Wentworth、1999a)は、普通児の教育から障がい児を対象とした特別支援教育まで取り入れられている(Wentworth、1999b;Berk、2004)。また人生の中途で障碍を持つに至った成人の感覚訓練においても、「感覚の均衡的な活用」が重視されている(山田、2006)。

    一方、“様々な感覚の均衡的な使用”を日常の社会生活の場面で実現するのは、それほど簡単なことではない。近代文明による“視覚の独走、視覚の専制支配”は18世紀以来、繰り返し指摘されている(中村、1995)。視覚の優位性は近年さらに顕著な形を取るに至り、デジタルテレビから携帯電話まで、視覚が優位に立つ形でIT革命が進んでいる(細野、2001;岩渕、2004)。

    視覚の優位性は日常の実生活だけでなく、生活を対象とする調査法にも認められる。生活の解明を目的として、習慣化した生活要因の有様とその影響を調べるライフスタイル調査(森本、1989;文部科学省、2004)、生活行動の地理的範囲を考慮した生活圏調査(荒井、1996;近岡、1997;Schönfelder・Axhausen、2004)、時間に焦点を当てた生活時間調査(NHK、2006)、時間だけでなく生活の意味と機能に焦点を当てた生活構造調査(芝原、2002)など、数多くの調査が提案されている。これらの調査に共通しているのは、何れも質問や予測される回答の選択肢が、構造化された質問用紙や回答用紙として、平面印刷、すなわち視覚化されていることである。聞き取りや観察を中心に調査がなされる場合は、調査者の発話、すなわち聴覚情報がまず前面に出るが、こうした場合も、回答欄や選択肢を印刷した用紙は準備されていることが多い。

   上述のような文字・視覚情報が優位の生活調査方法は、特に感覚的な次元での妥当性を問われることなく、これまで一般的に当たり前に用いられて来た。しかし障がいを持つ人と持たない人の生活と人権が共に尊重され、バリアフリー化とノーマライゼーションが進む社会的な状況下では、文字・視覚情報の理解が困難な人の立場も考慮し、生活調査の方法についてもバリアフリー化がなされる必要があろう。また“様々な感覚の均衡的な活用”が人間の存在や健康を捉える上での大原則であるなら、“視覚とは異なる感覚を活用した生活調査法”があってよい。視覚とは異なる感覚を使う途が拓かれることで、今まで眠っていた感覚が目覚め、生活の異なる次元に光が当てられる可能性も考えられる(山田信也、2006)。そこで本研究では、感覚として触覚を取り上げ、触覚を介して生活を捉える新調査法(触知生活マップ)の開発を試みた。また視覚障がい者に対して、新方法による聞き取りを事例的に行い、本調査で得られる結果の特徴化を試みた。さらに触覚を介する調査と言葉を介する調査の違いを明らかにするために、参加的な実験を行った。


Ⅱ 研究方法

.触知生活マップの開発

 1997から2005年に及ぶF大学での視覚障がい体験実習(守山ほか、2003)を通して、感覚としての触覚の特徴と可能性の検討を続けた。各年度、5から15名の学生が3日間の実習に参加し、触覚に関する実習は半日行われた。触覚に関連して何らかの知見が得られた場合は、著者らで妥当性を討議し、翌年の実習で事例的な確認を行った。2006年7月にそれまでの知見を総合し、生活の新調査方法(触知生活マップ)を考案した。




.視覚障がい者での触知生活マップの試行

 従来、視覚障がい者は、文字・視覚情報を使う調査の対象外であった。しかし、触覚を用いた調査であれば、視覚障がい下でも、回答できる可能性が生まれる。そこで視覚障がい者3名(男性1名、女性2名)を対象に、2006年8月から10月にかけて個別に面接し、触知生活マップ法によって生活の聞き取りを試みた。面接前に研究の意義と手順を説明した結果、全員から協力への快諾を得た。

    A氏(男性、31歳)は12歳時に薬剤の事故で失明し、現在に至っている。B氏(女性、31歳)は網膜色素変性症によって、小学生時より進行性に視力を失い、現在、視力は左右眼ともに手動弁の状態にある。C氏(女性、45歳)は33歳時に失明し、現在に至っている。

 面接に際して、対象者は説明を聞き、座標面や物品を手で触れ、マップ作成手順を理解した。その後、対象者は12個の物品を用い、図1と同様の手順で触知生活マップを作成した。対象者は何れも独力で作業を行うことができ、15分以内にマップを完成させた。その後、対象者はマップ上に配列された物品を手で触れながら、生活場面・行動について、思い浮かぶことを自由に語った。発言はデジタル録音の上で文字化した。


3.晴眼者における参加的実験

 言葉からの想起に比較し、触覚を介する想起によって、従来の生活調査とは異なる生活の側面が明らかになるかを検討するため、視覚が正常である大学生(晴眼者)を被験者とする参加的実験を行った。言葉と物品という二つの刺激(認識上の)を比較するのであれば、本来であれば、言葉と物品が一義的に対応し、両者が同一の事物を示すような実験設定が望ましい。しかし、本研究で用いている言葉は、外出・買い物・食事など、事物ではなく、生活行動であるため、「同一の事物」という設定は成立しない。「外出」には「靴紐・靴・靴べら・・・」、「買い物」には「お金・財布・キャッシュカード・買い物袋・・・」など、言葉と物品の対応は多義的となる。よって今回の設定では、対応の一義性は、今後の課題とした上で、「言葉」と「その言葉に容易に関連づけられる身の回りの一物品」とを刺激として、実験を設定した。

 2006年3月10日の参加的実験で被験者になったのは、S大学で同一のゼミに所属する三年次学生7名(男子5名、女子2名)である。事前に、研究の意義と手順とを説明した結果、全員から参加協力への快諾を得た。7名の学生は同一のテーブルの周囲に着席し、ほぼ60分間、「言葉を見る」、「物品を触れる」などの作業を順次行い、各作業が一段落するごとに、感じたことや考えたことを、自由に発言した。対象者の発言はデジタル録音の上で文字化した。

 最初に“言葉からの想起”を行った。「外出、買い物、食事、かぜひき・発熱」と単語を書いた紙を配布した。言葉を目で確認した後、被験者は思い浮かぶことを、順番に発言した。

 続いて“触覚を介する物品からの想起”を行った。触覚に集中できるようアイマスクを装着した被験者に対し、物品(靴紐、十円玉、プラスチックのスプーン、包装容器入りの錠剤)を順次配布した。被験者は各物品に触れ、思い浮かぶ生活場面/行動を発言した。


4.晴眼者での触知生活マップの試行

 前項の試みに引き続き、晴眼の被験者(学生)はアイマスク下で、図1に示す手順によって物品を平面上に配列展開し、触知生活マップを作成した。その後、被験者は自由にマップに触れ、思い浮かんだ内容を発言した。


Ⅲ 結 果

.触知生活マップの開発

 9年間、「触覚の特徴と可能性」について体験的な実習と検討を続けた結果、新調査方法に向けて、以下の方針が得られた; ①触覚から生活を甦らせる、②Haptic Glance(Klatxkyほか、1985)を活用する、③日用品から生活を振り返る、④日用品の配置によって生活を語らしめる。

 方針1「触覚から生活を甦らせる」 この方針は毎年の実習で観察された以下の事実に立脚している;「アイマスクの装着で視覚を失う学生は、当初、ただ着席しているだけの状態でも、不安や無力感を覚える。しかし自ら何らかの行動を起こすように促すと、自発的に身の回りの物を手で触れて探索する行動が生まれ、そこから生活の実感を取り戻し始める。」 繰り返し観察されたこの事実から、「触覚」を介して生活を捉えなおす新調査方法のアイデアが生まれた。

    方針2;「Haptic Glanceを活用する」 手の触覚を介すると言っても、「軽く触れる」から「押し付ける、握り締める」まで、手と手が触れる対象との相互作用には、さまざまなパターンがある。手をどのように用いれば、触覚の認識力が最高に発揮されるのだろうか。感覚生理学領域の先行研究を調べると、Katzが1925年に発表した実証的な成果に行き着く(Krueger、1989)。Katzが指摘した手指の総合的な認識力は、その後Haptic Glance(あるいはPurposive Touch、Active Touch)として位置づけられた(Klatzky・Lederman、2003)。Haptic Glanceは「人が身近な物を手で軽くサッと触れるだけで、瞬時に何かを理解できる認識能力」とされ、「誰でもが持つ能力である」、「点字のように学習を必要としない」、「視覚や聴覚のように離れたところから働くのではなく、皮膚が能動的に物に触れた瞬間から働きはじめる認識力である」などの特徴を持っている。上記のHaptic Glanceの特徴は、何れの年の学生実習でも追体験することができた。Haptic Glanceは、生活の細部を具体的に想起させることから、新調査方法の出発点になることが示唆された。

    方針3;「日用品から生活を振り返る」 Haptic Glanceによって最も速やかに、容易に認識できるのは、日々の生活を通して繰り返し手で触れて、慣れ親しんでいる道具・日用品である。一つの日用品を触れるだけで、その材質(たとえばプラスチック)、形状(左右対称、V字型)、動き(稼動部分の存在)から、その名称(洗濯バサミ)と関連機能(洗濯)に至るまでの事柄が、想起される(Moriyama et al.,1998)。用いる日用品を増やせば、思い浮かべることができる生活の側面も、多様化する。学生実習を通して繰り返し観察された上記の事実より、「様々な日用品に触れて、そこから生活を振り返る」という新調査の基本設計が得られた。

    方針4;「日用品の配置によって生活を語らしめる」 個別に幾つかの生活行動を想起することは、生活解明の一端と言えるが、それだけではまだ混沌としており、生活の全体像を描き出したことにはならない。そこで「日用品」と「対応して想起される生活の断面」を幾つも寄せ集め、組み立て、まとまった全体像を作る必要がある。著者は「組立作業から全体像構築に至る調査方法」の原型として、2次元イメージ展開法(Two-dimensional Mapping法;TDM法と略記)を既に開発していたため(Moriyama・Harnisch、1992)、2004年以後の学生実習では、TDM法をベースに検討を進めた。TDMとは、生活(又は食事、行動)を主題として、関連する複数のキーワード(通常5から12個程度)をラベルに表示し、ラベルを座標軸に従って配列/展開する中で、対象者が生活全体を振り返る方法である(Moriyama・Harnisch、1992;守山・松原、1996)。キーワードは、バラバラに置かれた初期状態から出発するが、その後キーワードは、まず横軸上に配列され、さらに縦軸方向へと展開され、座標上に位置づけられる。対象者はキーワードの操作を通して相互関係を把握し、そこで生まれる関係性の把握が生活を振り返るのに役立つと考えられる。TDMでは、対象者は「目」でキーワードを追う一方、ラベルの操作は「手」で行う。このようにTDMは作業的な方法であり、元来、視覚的であると共に、触覚的な側面を含んだ方法であった。そこで本研究では、TDMのラベルを日用品に置き換え、「触覚による生活調査方法」とした。結果として確定した方法の手順を以下に示す。

(1)対象者は、手で日用品に触れ、名称(例;スプーン)を思い浮かべ、関連する生活行動(例;食事する)をイメージする。
(2)同様にして、複数の日用品に触れ、複数の生活行動をイメージする。
(3)座標軸X(例;生活行動の頻度)にしたがい日用品を横方向に配列する。
(4)座標軸Y(例;生活行動後の爽快感の程度)にしたがい、日用品を縦方向へ展開する。
(5)出来上がった日用品による立体図(触知生活マップと命名)を様々な角度から触れ、日用品相互の位置関係を確認し、そこに表された生活の様子を言語化する。

    日用品と生活行動の対応例を以下に示す; a洗濯バサミ→洗濯する、bボタン→着替える、cシャンプーの注口→風呂に入る、d携帯電話機→電話する、eボールペン→字を書く(仕事する)、fスプーン→食事する、g缶飲料のプルトップ→ちょっと一杯、hサンダルの先端→外出する、iゴルフボール→スポーツする、jイヤーフォン→ラジオやテレビ、kコイン→買い物する、l歯ブラシ→歯を磨く、m本の一部→本を読む。

    以上の過程を経て定型化した触知生活マップの調査ツールとしての特徴を、表1に示す。


2.視覚障がい者での触知生活マップの試行

    生活に関する3名の対象者の発言を、触知物体と座標位置への言及も含め、表2から表4に示す。何れの対象者の発言も、最初の20分程度は、座標面や物品を手で触れて理解することに費やされており、表では省略した。表に示したのは、対象者がいったん完成したマップを手で触れ、生活の細部を語り始めてから後の主な発言である。視覚の場合は一瞥するだけで対象の全貌を把握できるが、触覚の場合は、一瞥的な理解は困難である。マップでは、触れた部分の記憶が蘇り、それを繰り返すことで、生活が様々な角度から確認され、それに伴なって発言が引き出される。表では、対象者が触れた物品と思い出した行動を最初の欄に、座標への言及を二番目の欄に、また実際の発言を三番目の欄に示した。


    A氏とB氏の場合は何れも「物品・行動・座標位置」を明確に指摘した後、関連する生活を語る傾向が認められた。何回も繰り返して、また間をおいて、同一の物品に触れることがあり、行きつ戻りつしながら、話が展開する様子が観察された。一方、C氏の場合は物品と行動に言及した後、座標位置は話題とせず、直接に生活を語る傾向が観察された。

    語りの内容としては、A氏(男性、31歳)の場合は、「普段から情報収集を大切にし、人付き合いを重んじるライフスタイルを取っていること」、「視覚が障がいされていることのストレスの解消と気分転換が、生活上で大きな意味を持つこと」が示された。B氏(女性、31歳)の場合は、「外出するときの楽しさ」や「外出先で接する人々」が生活上の重要事であった。C氏(女性、45歳)の発言からは、「外出を手助けしてくれるヘルパー」や「外出先での目的達成時の援助者」の存在が、生活の中で大きな位置を占めていた。

    何れの対象者においても、点字ブロックや音響信号などいわゆるバリアフリー環境と関連する発言は、特になされなかった。その一方、友人、ボランティア、ヘルパーなど、人的な環境に関する発言が頻出した。


3.晴眼者における参加的実験

 「言葉を聞いたとき」と「物品を触知したとき」の二条件下で、7名の晴眼者(学生)が想起した内容を表5に示す。

    言葉に対して物品の触知を比較すると、言葉「外出」の場合、7名中5名は車/自転車/バスなど交通機関の利用を想起した。一方、「靴紐」は、交通機関の想起には結びつかず、買い物/散歩など具体的な歩く行為の想起に至った。言葉「買い物」からはスーパー/コンビニ/主婦の店などが想起される一方で、買い物の内容は示されなかった。一方、「十円玉」は「硬貨を使う買い物場面」の想起につながり、切符/駄菓子など買い物の細部が具体的に想起された。言葉「食事」からは、全員が、自分の家で/実家で/友だちと/一人でなど、人に関連する食事場面を想起し、食事内容では7名中5名が、ご飯/和食/パン/酢豚など料理名を想起した。一方、「プラスチックのスプーン」からは人に関連する食事場面は明らかではない一方で、カップアイスクリーム/ゼリー/プリン/コーヒーなど限定された食品が想起された。言葉「かぜひき・発熱」からは、熱を出して医療を求めるときの状況や判断の場面が想起された。一方、物品「錠剤」の場合は、「頭痛/苦しい/吐く/寝る/調子が悪い」など、自覚症状と直接に結びついた想起が特徴的であった。以上、4対の言葉と物品の組み合わせより、言葉を聴いたときには、「周囲の状況を俯瞰的/多角的に把握するような想起」が起こるのに対し、物品を触れたときには、「特定の生活場面の細部と関連行動に焦点を当てるような想起」が起こることが、認められた。


4.晴眼者での触知生活マップの試行

 7名の学生は、上述のごとく、個別の物品を触知した印象を回答した後、アイマスク下で物品を配列展開する触知生活マップの作成に進んだ。触知マップの完成後、マップから得られた生活への気づきを表6の左欄に示す。

    7名中5名の学生は、何れも発言の中で就職活動について言及した。鉛筆/パソコンのキー/靴紐からのイメージが複合して、就職活動の想起に至ったことが伺える。表6の右欄には、言葉と比較したときの「触覚から考える際の特徴」を示す。「具体的なイメージが浮かぶ」、「イメージが限定されやすい」、「イメージが実際の行動と関連しやすい」などが、触覚からの想起の特徴として指摘された。

 参加的な実験の最後に、アイマスクを外した状態で、触知生活マップの意味につき、学生が発言した内容を、表7に示す。触覚からの具体的な思考を組み合わせることで、既知のはずの自己の生活行動が、よりリアルに再確認・再認識されていることが伺えた。

Ⅳ 考 察

 印刷された図や文字が認識できない、などの理由で、特定の人々を調査から除外するのではなく、そうした人々も理解できるような調査方法を開発することは、今後の保健や福祉の分野で、極めて重要である。そこで本研究では、触覚を介した生活調査方法の開発を試みた。触覚を介した調査と言うと、通常は点字や凹凸を利用した情報表示の適応が考えられる。しかし視覚障がい者であっても、点字を理解できる割合は10%台に留まる(厚生労働省、2002)。特に中途の視覚障がい者の場合、新たな点字学習の負担は大きい(前田、2001)。また凹凸で図を描く触知図(Jehoelら、2005)や立体コピー(渡辺・大内、2003)などの触覚を用いた情報表示装置が工夫されている。しかしこうした方法では、比較的単純な図形情報の伝達はできても、生活の細部に関連した情報を伝えることは困難である。そこで本研究では新たな方法論を模索した結果、「生活の中で実際に使われている立体物;日用品」を用いた触知生活マップに至った。特に視覚障がい者の場合は、人の顔や周囲の状況から予定表に至るまで、視覚的な確認を行えないため、必要な情報の認識・記録・記憶について、困難を覚えることが指摘されている(坂本、1998)。一方、触知生活マップは、日用品の空間配置を通して思考内容を記録保持するため、手で触れることで、いつでもマップ作成時の思考内容を思い出すことができる。実際、本研究で視覚障がい者が生活を語った際は、「マップを繰り返し手で触れる行為」が観察された。学生の場合もアイマスクをしている間は、視覚障がい者の場合と同様の行為が認められた。思考内容が触覚的に記録され、随時参照が可能になった結果、「手で参照しながら語る状況」が生まれたと推測される。

 本研究で開発した触知生活マップは、質問と選択肢を調査者が設定した順番で示す従来の調査票とは、相当に外見が異なる。「対象者の視点で、対象者の思考内容を表現する」という特徴からすると、コンセプトマップ(概念マップ)に近い。コンセプトマップは、異なるコンセプト(概念;物事の総括的・概括的な意味)間の関連性を視覚的に表現したものである(Dabbagh、2001;Novak・Cañas、2006)。触知生活マップを構成する要素は日用品であり、コンセプトではない。しかし、個々の日用品が個々のコンセプト、あるいは個々のコンセプトを表す媒介物、として機能していることが明らかである。今後、本方法を調査方法として更に発展させるためには、マップ作成に用いる日用品の選定が重要である。「歩く」という言葉一つを取り上げ、関連する日用品として靴に着目するとしても、色々の物品が考えられる。靴といっても、子ども靴から婦人靴までがあり、靴紐だけでも、革靴の紐からスニーカーの紐まで、多様である。また日用品の種類や素材自体が、時代と共に変化していることも見逃せない。高齢者から生活の語りを引き出すには、プラスチックに偏りがちな現代の物品では不十分かもしれない。若者から生活の語りを引き出すには、日用品の流行にも敏感である必要があろう。国外で調査を行うのであれば、その社会や文化の中で流通し汎用されている日用品を同定しておくことも必要になろう。

 本稿が示す触覚研究の方向性は、保健や福祉の今後を考えたとき、どのような意味を持っているだろうか。この際、本研究での触知生活マップが持つ2つの側面、1)量的側面(マップの座標に従った物品の位置付け)と2)質的側面(物品に触れた気づきからの生活の聞き取り)、のどちらを優先するかで、今後の方向はやや異なると考えられる。量的側面を優先する場合、「物品=言葉(あるいは概念)の代用物」と単純化できるのであれば、「“言葉を目で見る”代わりに“物品を手で操作する”グラフ作成方法」として発展が期待されよう。一方、質的側面を優先する場合は、物品は言葉の単純な代用物とはならない。言葉(たとえば食事)を目で見る場合、その情報は視神経を介して中枢に到達し、「食事」という概念として認識される。一方、物品(たとえば金属の匙)に触れる場合は、その手ざわりが、指先の触知に関する神経終末を介し、食に関して使用される他の様々な道具/物品(プラスチックの匙、木の箸、金属のフォーク、等々)とは明確に区別される触感を通して、認識される。触知からの認識は、最初から「食事」の概念に至るのではなく、まずは、個別具体的な食事道具/物品の経験に結びつくと考えられる。よって、今後の保健や福祉の科学が、生活の計量化をさらに推進するのであれば、1)量的側面の寄与が期待される。一方、量よりもむしろ質に着目し、そこへの接近を強めて行くのであれば、触知からの2)質的側面の探求は、今後さらに意味を持ってくると考えられる。本研究での観察から、3名の視覚障がい者は、マップ作成前/作成中/作成後の何れの過程においても、触知に多くの時間を費やしたことが観察されている。晴眼の学生の場合も、十円玉やスプーンのように通常は特に見向きもしないありふれた物品であっても、アイマスク下でそれらに触れた場合には、10秒以上の時間をかけて触知し、またいったん触知が終わった後も、そこに手を戻して、繰り返し触知する傾向が観察された。よって触知生活マップは、被調査者が本来的に持っているらしい「手で物に触れることへの関心」を生かした質的な調査方法として、今後の展開が期待できる。「言葉からの調査」が概念伝達を優先する「効率性の高い調査」と位置づけられるのに対し、「触覚からの調査」は生活世界の具体性にこだわる「細部のイメージ喚起性の高い調査」と特徴化されよう。触知生活マップは、被調査者の思考過程に「手で触知される環境の要因」を介在させる調査方法であり、個別の生活体験の中に深く入り込むことを可能にする調査方法だ、とも言える。手による作業は、生活に関する実感を高め、また生活への適応を促進する方法として、幼児教育(Wentworth, 1999a, b)やデイケア(岩崎ほか、2006)から、閉じこもり予防(安村ほか、2005)や認知症予防(本間ほか、2005)に至るまで、教育・医療・保健・福祉の広い分野で、経験的に取り入れられてきた。手は、人と環境とが触れ合う接点としても機能し、道具の使用は進化と適応の原動力となっている(鈴木ほか、1990)。本研究における触知生活マップは、このような手と触覚の活用を、「生活の中に入り込んで生活を振り返り、気づき、生活を捉えなおす」調査方法へと、拡張発展させたものである。触覚の持つ生活認識の喚起力と、その生活調査方法への応用に関連して、さらなる研究が必要とされている。

 視覚障がい者の日常生活の実際については、これまで適切な調査方法が存在しなかったことから、一般的には殆ど知られていない。そのため、人生の途上で失明の宣告を受けた人々は、自分の生活がどのようになるのか分からないまま、不安に駆られる(東京都、2005)。その一方、視覚障がいを乗り越えて生きている人々の生活体験に接することで、不必要な不安から開放され、希望を持つに至ることも知られている(藤田・菊入、2006)。触知生活マップによって、より多くの視覚障がい者が自己の生活を語り始めることが重要だと考えられる。一方、晴眼者の場合は、視覚障がい者が置かれている情報不足の状況は、表面的には見当たらない。しかし本研究の結果、晴眼学生も触知生活マップから生活の見直しができ、多忙な就職活動の日々への洞察が得られた。障がいの有無を問わず、様々な手がかりを介して生活の細部を具体的に振り返ることは、調査法としての意味を超え、生活習慣を変容させる健康教育・ヘルスプロモーションの方法としても、新たな可能性を拓くと考えられる。


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安村誠司、閉じこもり予防・支援についての研究班(2005):閉じこもり予防・支援マニュアル、1-53、厚生労働省老健局老人保健課

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