2001年11月10日、ファイザー財団発表会
模擬患者導入に関する国際比較事例研究
守山正樹、福島哲仁
模擬患者導入に関する国際比較事例研究について、発表させていただきます。
医療が医療者中心から市民や患者を中心へと転換するのは、世界的な流れと言えます。それと関連して、わが国ではアメリカやカナダで発展した模擬患者教育方法が、臨床実習に導入され始め、医師国家試験への導入も予定されています。
わが国の導入状況をさらに見ていくと、模擬患者作成の技術論が先行する一方、社会的・文化的背景の検討はほとんどなされていません。発表者は医学部の公衆衛生学講座に所属し、予防医学的な方向で模擬患者を導入することに関心を持っています。そして、市民が医学教育に参加することの意味を問うことから始め、模擬患者の社会的・教育的な意味を明らかにした上で、我々に合った等身大の教育技術として、取り入れ、さらに発展させることの重要性を痛感してきました。このような時期に、本助成をいただくことができましたため、研究に着手しました。
6名の共同研究者を示します。左側3名が日本から、右側の2名は米国から、最後の1名は韓国から本研究に参加しました。
研究の焦点を明らかにし、共有することを目的として、最初に作成した概念図を示します。人間的な側面と社会背景を中心に、模擬患者の意味を考えることにしたため、模擬患者、学習者としての医学生、指導する教員、それを囲む社会を重要な要素と考えました。
研究を開始したのは、アメリカのイリノイ州で、時期は2000年1月です。イリノイ州の三箇所を訪問し、聞き取りを行いました。
模擬患者を先進的に行っている地域として、イリノイ州を選びました。
最初に訪問したイリノイ大学アーバナシャンペイン校は、イリノイ大学医学部システムの中でも、最も少人数教育を行っている場所であり、アメリカ側の二人の共同研究者の本拠地でもあります。
次に訪問したのは、南イリノイ大学です。模擬患者を世界で最初に開発したのは、1960年代に当時カナダのマクマスター大学におられたBarrows先生ですが、Barrows先生はその後、南イリノイ大学に移られ、模擬患者を用いた教育や問題解決型学習のコースを指導してきました。このため、南イリノイ大学の状況は、模擬患者が本来あるべき姿を反映していると考えられました。
最後に訪問したのは、イリノイ大学のシカゴ校です。ここには模擬患者を用いて学生評価を行うセンターがあり、模擬患者の普及を考える上で、参考になる点が多い、と判断されました。
最初に訪問したイリノイ大学アーバナシャンペイン校で、模擬患者を用いた教育プログラムを中心となって動かしている4名の人々です。実際に模擬患者をトレーニングしているのは、まず我々の共同研究者であり、臨床教育センターの副主任でもあるBrewer氏、および、開業看護婦としても仕事をしているCarlson氏です。これら二人の模擬患者コーディネーターと共に教育にかかわり、進むべき方向性をリードしているのが教育学者であるMaster氏と、小児科の教授であるHatch氏です。
アーバナシャンペイン校の学生数は、1学年25人であり、講義と問題解決型学習に模擬患者を組み合わせた少人数教育を行っていました。
次は南イリノイ大学です。この大学は医学生のために二つのコースを用意しており、定員は講義中心コースが40名、問題解決コースが30名です。模擬患者を用いた実習は、何れのコースでも行われています。医学教育棟の中央にある観察評価室からマジックミラー越しに、医学生による模擬患者の診察状況を見たのが、これらの図です。下の図は、模擬患者実習の後、各診察室から出てきた模擬患者にインタビューしたときのものです。左は共同研究者のハーニッシュ氏です。これらの模擬患者の人々は、何れも大学の周辺に住んでいる市民で、ボランティアです。市民として医学教育に関われることの楽しさや期待を語ってくれました。
南イリノイ大学においても、実際に模擬患者をトレーニングし、模擬患者を使った教育を進行させているのは、中心の円の中に示した二人の模擬患者コーディネーターです。
三番目に訪問したイリノイ大学シカゴ校です。イリノイ大学医学部システムの中でも最も学生数が多く、1学年175名です。ここの教育センターは、シカゴ周辺にある他の医学部に対しても、模擬患者を用いた教育評価を提供しています。このセンターは、南イリノイ大学のようなマジックミラーを供えた観察評価室はなく、その代わりに、幾つかある模擬診察室のビデオカメラ映像を集中的に見られる設備がありました。ここでは、何人かの医学生と模擬患者にインタビューすることができました。シカゴは劇場などの文化施設が多い街ですが、ここの模擬患者は全員が俳優を本職としており、役がもらえない時期を中心に、ボランティアとして模擬患者になっています。
既に紹介した二つの施設と同様に、模擬患者プログラムの中心には模擬患者コーディネータがおり、模擬患者のトレーニングからプログラムの進行まで、二人のコーディネーターが中心に行っていました。
イリノイでの事例研究から明らかになったことを述べます。研究の概念モデルにおいて、当初我々は模擬患者を用いる教育の人間的な枠組みを、この図のように捉えていました。しかしイリノイでの聞き取り調査を通して、最初に分かってきたのは、この教員の位置です。最初の図では、教員は医学生と模擬患者の関連に対し、やや離れたところに位置しました。しかし、イリノイの3ヶ所では、何れも医学教育部門の内部にいる模擬患者コーディネーター、トレーナーが大きな役割を担っていました。この関連を図に示すと、このようになります。
もう1点、我々が目を向けたのは、医学生におけるコミュニケーションの能力です。初等教育からディベートやロールプレイを大切にする環境で育っているアメリカの学生に対し、日本の学生はそのような環境に慣れていません。日本の学生が、模擬患者のような対話的教育場面に適応して多くのことを学び始めるには、どうすればよいか、新たな疑問がでてきました。
1月のイリノイでの調査を終了した我々、特に福岡のメンバーと、Keimyong医科大学のLee氏のチームとは、帰国直後から、日本や韓国の現状にあった模擬患者の形、参加的な医学教育の形について考え始めました。
まず試みに開始したのが、両大学の間での学生グループによる電子メールを用いた交流です。
6月からの交流を開始した直後は、韓国では医薬分業に端を発した医療大乱がピークに達し始めた時期に重なり、Keimyung大学も含めて、韓国の全病院、全医学部が診療拒否やストライキに突入するという事態になりました。
画像は、Keimyung大学の学生から送られてきたもので、韓国全土の医学生がソウルで集会を開いたときの様子です。
この事態により、本研究に関連して、福岡とDaeguとで、7月から9月にかけて、参加的な授業を行い学生が交流する、という計画は中止せざるを得なくなりました。しかし電子メールでの交流は進み、医療大乱やストライキの様子を知らせてくるDaeguの学生からのメールに触れて、福岡の学生が、それまで関心がなかった医療や医薬のシステムに関心を向け始め、「学生は交流から社会を学ぶこと」が分かりました。
1月にイリノイから開始した本研究につき、方向性が見え始めたと判断された2000年の10月に、今度は福岡で共同研究者全員が集まり、検討会を持ちました。注意を払ったのは、福岡やDaeguの環境に適した模擬患者、医学生、教員の関連をどう捉えるかです。
このとき、福岡大学では内科で模擬患者演習を行っていましたので、そこに我々も観察者として参加し、模擬患者と学生の対話の状況、およびその後のフィードバックの状況に触れました。
この図は、医学部の5年生が、模擬患者に問診しているところです。これら二人の方は、福岡市内で活動している劇団のメンバーで、ボランティアとして模擬患者になっています。
共同研究者であるイリノイ大学のHarnish氏とBrewer氏、およびKeimyung大学のLee氏にとっては、これが日本の模擬患者教育に接する初めての機会でした。
この模擬患者実習で印象的だったのは、フィードバックもかねた反省検討会の場面です。模擬患者と学生とがそれぞれグループとして着席する位置関係で、模擬患者から問診中の学生の発言・態度・動作について、指摘が行われます。
これはフィードバックを向けている学生の表情です。緊張している様子がうかがえます。
フィードバックが一段落したとき、それまで黙って見ていた共同研究者Brewer氏が突然立ち上がり、この位置まで移動し、学生たちに「You did a great job.」と話し始めました。
学生たちに話しかけている状況です。うち合わせたわけでもないのに、もう一人の共同研究者Harnisch氏も続いて同様の行動を取りました。
イリノイでの調査の結果、アメリカの模擬患者教育で教員の果たす役割の大きさが指摘されていたのですが、二人の共同研究者は、初めて出会った福岡の模擬患者実習で、学習者を支える教員の役割の大きさを、参加的に実証してくれました。
さてこのようにして、本研究の後半における課題が明らかになってきました。
すなわち福岡とDaeguのそれぞれにおいて、どのようにに医学生の認識とコミュニケーションの能力を育て、市民の輪に入って行けるようにするか、です。
10月の検討会から一カ月後、福岡で新しい試みを始めました。焦点は、学生が模擬患者の社会背景をどこまで深く、また論理的に理解するか、です。図に示すのは、フィードバック時の状況ですが、学生がリラックスしているのが、おわかりいただけると思います。福岡で活動している市民の模擬患者グループと、数回の合同研究会を持った上で、実習に臨みました。
実習のまとめとして行いました模擬患者の方々と、学生たちとの意見交換会の様子です。
福岡での試みを受けて、今年、Keimyong大学のLee氏の所で、新たなスタイルの模擬患者演習が始まりました。
Daegu市の電話帳から600人の市民を無作為に抽出してボランティアを依頼し、結局9人の市民模擬患者を得ることができました。5年生の学生が、模擬患者に問診している様子をスライドに示します。
模擬患者演習の後、講義室に学生たちが集まり、模擬患者の方々のコメントを聞いているところです。
模擬患者の方々が、発言している様子です。一人だけ日本語を話す方がおられました。日本にお生まれで、十代で朝鮮半島にわたり、北朝鮮にも長くおられた後、韓国に戻り、看護婦として保険会社に勤めてから退職されました。「Daegu市の一市民として、Keimyong大学の医学教育に貢献でき、とてもうれしい」と話しておられました。
今年のKeimyong大学では、医学部内での模擬患者演習のほかに、学生が白衣を脱いで街に出て、市民の声を聞くストリートサーベイ(街頭調査)も試みました。昨年の医療大乱の中で起きた病院閉鎖や医学生ストライキについて、市民は何を感じたか、それを聞き取ることが主要テーマでした。
大学の近くの公園のベンチなど、いろいろな場所で、学生が様々な年代の市民の人たちに、聞き取り調査をしている様子をスライドに示します。
さて今回の助成を得て行ってきました探究の結論を示します。
医学生の認識とコミュニケーションの能力を、対話的な環境の中で支援し、育てることの重要性が、本研究により事例的に実証されたと考えております。
医学生の学習環境で対話をどのように育てていくか、その方法をどうするか、スライドに示しましたワークブックなどの対話型教材も試作しながら、我々はいまだに、いやむしろこれからかもしれませんが、本助成をいただいて始めた問題提起を継続し本格化しております。