d 質的研究

質的研究とは何か?


一研究者の歩みから見た質的研究の意義

守山正樹


守山正樹.一研究者の歩みから見た質的研究の意義.口腔衛生学会雑誌、54巻5号、515-518. *本論説は、第52回日本口腔衛生学会・総会(2003年9月26日、北九州市)におけるシンポジウムB「ヘルスプロモーション活動における質的調査・研究の可能性と意義」に基づいたものである1)。 


1.研究とは何か?  

    そもそも研究とは、Researchとは、何だろうか。広辞苑を引くと「よく調べ考えて真理をきわめること」とある。The concise Oxford Dictionaryを引くと「The systematic investigation into and study of materials and sources in order to establish facts and reach new conclusions.」 とある。何れも真理を求めて、調べ考える過程に焦点が当てられている。

    このような研究の過程に関連して、近年「量的あるいは質的」という捉え方がなされることが多くなった。振り返ってみると、このような言葉は著者が学生時代には今ほど意識して使われなかった。しかし、それに相当する内容の研究はもちろん存在した。研究が広く真理を求めて行われるものであるなら、当たり前のことである。

2.研究の出発点としてのプロスペクト

    一部の特殊な人だけが研究をするのではなく、著者も含め多くの人々が研究を行い、それぞれの真理を目指そうとしている時代において、研究の過程が多くの人々に開かれたものであることは、重要である。研究の方法が確立しているのであれば、方法を学ぶことも、研究を行う上で意義深いこととなる。では方法を学んだら、研究は順調に進むのだろうか。 

    著者は1975年に医学部を卒業後、公衆衛生学の大学院に進学した。4年間の大学院生時代、研究とはどういうことかが、なかなか理解できなかった。コンピュータによる計算、動物実験などの方法を習得すれば、結果が出せるようになり、論文が書ける、といった程度の理解は持っていた。しかし本当に自分が研究したいことは何か、容易には見出せなかった。研究室の諸先輩からは「君はまだ研究に対してプロスペクトを持っていない」と言われ続けたが、「プロスペクトとは実際どのような感覚で捉えられるものか?」、「どうなれば、それを持てたことになるのか」わけが分らないまま、時間が過ぎて行った。プロスペクトの意味が分りかけて来たのは、数年経ってからである。今思えばこのプロスペクトとは、「①研究の意味を問い続ける前向きの視線」、「②その視線を投げかけている研究当事者としての自分自身」、及び「③その自分が位置する世界への認識」という3要素の包括的な確立を意味していたように考えられる。このことからすれば研究とは、方法を身に付けて済むものではなく、「研究者としての物の見方・生き方の確立」を伴うものであることが分る。 

    では質的/量的という研究の分類とプロスペクトとは、どう関連しているだろうか。公衆衛生学の大学院受験を決めたとき、「この分野を志すならまず読むように」と恩師から勧められたのはMacMahon著「疫学−原理と方法」2)だった。現象を量的に把握することが、公衆衛生学の原点であることを教えられた。例えば物事の関連を量的に明らかにした上で、その中心的な部分を「原因」・「重要な要因」と捉え、他から際立つ形で明らかに示す研究の際に、研究者としての物の見方が確立していることは必須である。研究が量的/質的の何れであるかを問わず、プロスペクトは研究の前提と言えるのではないだろうか。しかし研究手順が高度に組織化され、 コンピュータのような量的データ処理装置の存在が大きい状況下で、研究者個人のプロスペクトが直接には問われない局面も増えているように感じられる。 

    一方、「プロスペクトが常に問われるタイプの研究」、「プロスペクトが十分に形成されていないと、行うのが困難な研究」も存在する。プロスペクトが未熟であることは、研究テーマを「自分自身との関連で位置づけられない」、「自分の生き方/生活の中に位置づけられない」ことを意味する。「生きる、生活する」というのは、人間が誰でもしていることで、それが研究に直接に結びつくわけではない。しかし、意識的に生きることは、少なくとも質的研究に向かう前提として、とても大切なことのように考えられる。質的研究の原則を述べている本の一つに「Narrative based medicine3)」がある。 この本によると、「学ぶ、信じる、希望する、夢見る、嫌う、愛する・・・」等々のことがらは、それが意識的に語られ綴られることで初めて、Narrative(語り)としての形を現す。この捉え方によれば、人の生活を捉えるとはNarrativeとして把握することである。「病気になる、回復する、健康になる、障害を持つ、死亡する・・・」等々の医療と関連した事象も、もちろんNarrativeであり、医療関係者も立場に応じて、そのNarrativeの枠組みに関わることになる。人の生き方/人の病気になり方/人の回復の仕方が、多くの興味深い出来事の連続から成り立っており、そのようなことが、「なぜ起きるのか、どうなるのか、それをできるだけ多く、知りたい/極めたい」、と思えるようになったとき、そこに質的な研究の世界が開け始めている、と考えられる。

3.様々な形での研究への質的な接近

    大学院への進学に先立つ3年前、医学部3年時の公衆衛生学実習において、著者は研究の機会に恵まれた。選んだテーマは思春期の発育だった。発育研究とは、時間の流れの中で変化を続ける人間を対象に、身体/認識/社会性などの多様な次元からの接近を試みる研究である。最も分かりやすい形で、人の変化する過程に注目することから、研究が始まる。当時、公衆衛生学の教授として着任されたばかりの鈴木継美先生に「思春期の発育をテーマにしたいが、どのような勉強したらいいのか」と質問に行ったとき、先生が示してくださったのが、ブルーナー著の「教育の過程」4)およびピアジェ著の「思考の心理学」5)であった。実際に行ったのは、母が勤めていた中高一貫教育の女子校におけるアンケート調査である。調査に当たって、①思春期はいつ始まるか、及び②思春期の間に発育に関する対象者の考え方はどのように変化するか、の2点を明らかにしたいと考えた。最初の課題は、初経年齢を聞き取り、分布図を描き、中央値と平均値を推定するという数量的なものであった。2番目の課題は、オープンエンドの質問(例;妊娠とはどういうことだと思いますか)に対して、対象者に自由記述してもらい、その内容を繰り返し読んで分類することから、思考過程の多様性と年齢変化を把握する、という質的なものであった。600枚のアンケート用紙の自由記述欄に書かれた発言を紙片に書き写し、下宿4畳半の畳の上に並べて分類を試み、その作業を繰り返すことで、多様な自由記述が整理されて行った。たとえば同じ「妊娠」の捉え方にも、感覚的な次元と知覚的な次元のあることが示唆された6)。 

    公衆衛生学実習の面白さにただ夢中になった学生時代、プロスペクトが無いことに気づかされた院生時代を経て、物の見方は成長を始める。自分の中に研究に向かうプロスペクトの萌芽が現れ、「人の生き方や社会の動きを記述すること」への関心が広がり、そこに様々な過程があることが見え始めると、質的な方向で研究の関心が広がってくる。このような「過程に関連した研究の興味深さ」或いは「質的な方向での研究的関心」は、たぶんに個別的/状況依存的であり、他の人々に説明するには時間がかかる。しかし同じ研究室に所属したり、同じ時代の流れを共有したりする中で、周囲の人々との間に、質的研究への関心の共有が生まれることもある。若い同僚が、その人なりのやり方で、人の生き方や社会の動きを捉え、新たな方向へと質的な探究を発展させることも起き始める。 

    この方向で印象に残っているのは、長崎大学で職を得た著者が1980年代後半に出会ったI氏の研究7)である。1986年当時、長崎では高島炭鉱閉山が社会的注目を集めていた。かって長崎の主要産業であった炭鉱に、離島という立地条件が重なり、その炭鉱の閉山後、地域がどうなるのかが、問われていた。著者は他の研究仲間と共に、高島町地域保健研究会として、高島の観察を始めていた。I氏は医学部生時代から高島の出来事に関心を持ち、そこの人々に共感を覚え、大学院の研究テーマとして高島を取り上げてからは、生まれたばかりの子どもを連れて高島に通っていた。閉山直後から人口が急減していった高島に触れながら、I氏が見出したテーマが、「旧炭鉱地域には健康や疾病の捉え方につき、どのような特徴があるか?」であり、そのような炭鉱地域の特徴が「疾病発症以前の生活背景や疾病像、および発症とどのように関連するか?」であった。31名の町民に対し、一人当たり30分から2時間にわたる面接を行い、疾病発症前から発症後に至るライフヒストリーの分析を進めた結果、健康への意識形成に関連して、三つのパターンを得た7)。 

    ほぼ同時期に印象に残っているものとして、1990年代初めにY氏が行った研究8)も忘れられない。Y氏は著者がいた研究室に教務職員として勤務していたが、研究的接近に積極的な関心を持っていた。Y氏は大学時代の専攻が日本文学であり、長崎大学に勤務する前には、高校で国語の教師をしていたことがある。Y氏が研究テーマを模索していた当時、長崎では雲仙普賢岳の噴火による災害が社会問題になっていた。研究室としても火山災害の問題に取り組むことになり、Y氏は調査やデータ整理の補助要員として、被災地での打ち合わせにも参加していた。このようなときにY氏が出会ったのが、O小学校の児童による作文集である。O小学校は普賢岳の火砕流によって校舎を消失し、児童は避難生活を続けていた。この作文集を読んだY氏は、そこに示された児童のNarrativeに迫真性があり、大人なら考えないような子供なりの思考がそこに示されていることに強い関心を持った。Y氏は、「この作文集を出発点として、災害下における子供たちのものの見方や考え方についての研究ができないものか」と考え始め、そこから64名の児童が書いた作文の分析が始まった。児童のオリジナルな表現を損なわない範囲で、元の作文表現を文章のブロックと名詞へと解体し、そこから児童の思考過程を再構成する試みを続けた。特に各状況の構成名詞2938個の分析より、児童の注目する対象として6個の項目が見出された8)。 

    高島炭鉱閉山や雲仙普賢岳噴火と地域社会の変動が続く中、著者は1991年8月から1年間、長崎を離れ、文部省在外研究員として米国に滞在することになった。変化を続ける高島や普賢岳とその影響を受け続けている長崎を離れることには心残りがあったが、新しい場所でまったく新しいことに取り組めることには、魅力を感じた。そこで取り組んだのが、前から一度は挑戦してみたいと考えていたテーマ、「自覚症状や痛みが、日本とアメリカという文化的な差を超えて、どこまで共通しているかを実証する」であった。8月にイリノイ州U市についた著者は、研究協力者を探した結果、W医師に出会い、アメリカ人に多い頭痛をテーマに共同で事例研究をすることになった。研究で明らかにしたかったのは、「W医師がどのように頭痛を問診するか、その問診過程での痛みの表現は、日本人の捉え方とどのように共通するか」である。1992年1月から3月にかけ、W氏の診察室でW医師と共に対話と共同作業を進めた。その結果、頭痛診断に関するW医師の考えは、まず断片的な言葉や略画として、さらに患者が理解しやすい系統図(Picture Your Headache;頭痛を画で示そう)へと、まとめられた9)。 

    著者の場合、研究には常に量的側面と質的側面とが存在したが、特に質的研究の発展は人との出会いから誘発され続けて来た。1997年に長崎から福岡に移ってからも、様々な出会いに恵まれた。特に印象深いのはS氏の研究10)である。著者が初めてS氏に出会ったとき、S氏は大学院の2年目を迎えていたが、研究テーマが定まらず悩んでいた。S氏は鍼灸の大学を卒業し、スポーツ科学の分野で修士を終えたあと、医学部の社会医学系大学院に進学していた。大学院生としての生活の傍ら、鍼灸師の資格を活用して、鍼灸の治療を行うこともあった。このS氏が特に関心を持っていたのが、同じ鍼灸師の同僚の中に晴眼者と視覚障害者の双方が存在する事実であった。このような関心を研究として育てられないか、S氏と話し合い、ともかく一度、視覚が障害された鍼灸師の方にお会いして、鍼灸診療についての考えを聞いてみようということになった。このことから、視覚が障害された鍼灸師の診療に関する事例研究が発案された。12名の対象者への聞き取りがほぼ終了した頃、S氏は父親が交通事故で四肢麻痺になるという出来事に出会った。鍼灸師研究のまとめに加え、父親の介護を行うことになったS氏は、視覚障害/四肢障害など障害の背景にある“患者の立場”に対して強い関心を持つようになり、そこから二番目の研究が生まれた。一人の脊髄損傷患者(父親)を対象に、取り組んだ最初のテーマが「対象者と協業する形で患者の立場の本質を探ること」であった。父親の枕元で2ヶ月に渡って聞き取りを継続した結果、父親の主たる苦痛が、「患者として感じる“もどかしさ(Irritability)”を医師や看護婦に“伝えたい/理解して欲しい”と思っても、それが伝わらないこと」であることを、明らかにした10)。

4.これから質的研究をしようとしている皆さんへ

    これまでの著者の出会いから、人を対象にした衛生・公衆衛生領域の研究を改めて分類してみると、研究には二つのタイプがあると言えそうである。最初のものは、原因/重要な要因を求める研究である。研究の焦点は、その原因あるいは要因を特定することにあり、量的な方法がとても役立つ。一方、二番目のタイプは、実態や過程を知ろうとする研究である。要因を特定するよりも、実態や過程を理解し、それを描き出すことに中心が置かれる。この後者のタイプの研究には、質的な接近が特に役立つようである。どちらのタイプの研究も、共に重要であることは言うまでもない。研究者としてどちらのタイプを大切にするかは、研究者としての歩みの比較的初期に、どちらのタイプの研究に出会うかによっても、影響されるようである。 

    質的な研究を志す場合には、「自分がどのような過程を理解し描き出したいと思っているか」を、まず意識することが大切だと考えられる。方法を学べばこのような意識が生まれるとは限らない。既に述べたプロスペクトの必要性はこの部分に関係している。「プロスペクトが未熟だと、良い研究はできない」、「特に質的研究ではプロスペクトが正面から問われる」などと書くと、質的研究は“初心者が行うのは難しい研究”のように思われてしまうかもしれない。そのような一面が質的研究の中にあることは、否定はできないだろう。しかし毎日の生活の中に、生き方の中に研究の芽があるということは、本来は研究が「思い立てばどこででも可能な、身近な行為」であることも意味する。人との出会いと対話の中に、研究の過程が見出されて来る11)。 

    健康づくり/ヘルスプローモーションに関して言えば、「研究はどこにいても、学校/職場/地域の何処でも出来る」、「特別な尺度や調査用紙や実験器具を備えていなくても、紙と鉛筆さえあれば、あるいは簡単なレコーダさえあれば出来る」と言える。その気になれば誰でもが、Narrativeな、質的なデータを取り始めることができよう。このように質的研究の間口は広い。一方、研究者の問題意識が十分に確立していない場合には、データの洪水の中に埋もれてしまうこともしばしばである。

5.最も大切なこと

    実際に質的研究を行う段階になれば、インタビューの仕方、テープ起こしの仕方、テキストデータの要約の仕方、コーディングの仕方等など、様々な方法が必要となってくる。適切な方法を身につけることは、質的研究への近道と言える。著者が大学院生の頃に比べ、質的研究の方法論についても、現在は多くの書物が出版されている。大学や大学院で質的研究のコースを取り、実際に質的研究を手がけた人々の数も、年々増加している。この小論を読んで、質的研究に関心を持った方は、まず第52回日本口腔衛生学会総会におけるシンポジウムBの記録1)に目を通し、質的研究へのイメージをより具体的なものにしていただきたい。様々な質的研究の入門書にも目を通すことをお勧めする。 

    改めて、質的研究で最も大切なことは何だろうか。「プロスペクトが先か、方法が先か」などと議論しても、それほどの意味はない。しかし「自分にとって何が最も大切か」を問い続けることは、必要である。著者は1991年にイリノイ大学教育学部に滞在した際、Robert  Stake 先生の授業を受講する幸運に恵まれた。Stake先生は若い頃は多変量解析の分野で優れた業績を挙げておられたが、その後、質的研究に転じられ、教育場面での質的研究の先駆者として活躍されていた。ある時、このStake先生に「質的研究について学びたいが、私にとってどのような本が適切か?」と質問したことがある。その当時、質的研究に関しては、多くの本が既に出版され始めていた。しかし意外にもStake先生が進めてくださったのは、BBC(英国放送協会)が編集した小さな本、John  Berger著、Ways of Seeing 12)であった。 この本には多くの名画が含まれ、それらの画を通し「語る前に存在する行為としての“物の見方”」が述べられていた。この本を手に取ったとき、1972年に鈴木継美先生が勧めてくださった「教育の過程」が、そして長年悩まされ続けたプロスペクトという言葉が脳裏に浮かんだ。「過程を大切に、しっかりと物を見て、語ること」が、自分の歩むべき道だ、と改めて気付かされた。


文献

1)中村譲治, 守山正樹, 筒井昭仁, 佐々木健, 藤好未陶, 岩井 梢: シンポジウムB ヘルスプロモーション活動における質的調査・研究の可能性と意義. 口腔衛生会誌, 52: 301-304, 2003.
2)MacMahon & Pugh(金子義徳, 額田 粲, 廣畑富雄訳): 疫学−原理と方法−. 丸善, 東京, 1972.
3)Trisha Greenhalgh, Brian Hurwitz: Why study narrative? Narrative Based Medicine, BMJ Books, London, 1998, pp.3-16.
4)ブルーナーJ.S. (鈴木祥蔵,佐藤三郎訳): 教育の過程. 岩波書店, 東京, 1963, p. 1-208.
5)ピアジェJ.(滝沢武久訳): 思考の心理学. みすず書房(東京), 1972, p. 1-209.
6)守山正樹, 鈴木継美: 思春期の成長と性の認識の形成. 民族衛生, 39: 13-25, 1973.
7)伊藤恵子: 地域保健領域におけるコミュニケーション志向型の調査法の開発とその適用-長崎県・高島町の医療機関受療者に関する事例研究. 長崎医学会雑誌, 69 : 75-90, 1994.
8)横尾美智代, 守山正樹: 噴火災害で被災した児童における環境認識の構造的把握. 日本社会精神医学会雑誌, 6: 185-196: 1998.
9)守山正樹, 嘉悦明彦, 柴田和典, 福島哲仁: 患者を目の前にして一医師が考える内容から、対話型の頭痛問診表を作る試み. プライマリ・ケア, 23: 165-173, 2000.
10)井上晴豪, 守山正樹: “患者の立場を学習できる教材”とは何か?-参加的事例研究に基づいた開発と評価の試み-. 福岡大学医学紀要, 29: 203-212, 2002.
11)守山正樹, 松原伸一: 対話からの地域保健活動-健康教育情報学の試み. 篠原出版, 東京, 1991, p. 1-218.
12)John Berger : Ways of seeing. BBC, London, 1972, p. 1-166.
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