日本健康教育学会誌 2012; 20(4): 273-275. 日本健康教育学会誌、巻頭言 70年後の健康教育とヘルスプロモーション Health education and promotion 70 years later 守山正樹 毎朝、職場に行く途中で幼稚園の送迎バスに出会う。園児の笑顔に一瞬ホッとし、そして彼らと筆者の生きる時代に思いをはせる。 1951年生まれの筆者は、日本が人口的にも経済的にも順調に発展した時代を生きて来た。1872年に3500万人だった日本の人口は1951年に8450万人に達した。1964年には1億人、1984年には1億2000万人を超え、社会構造や制度も人口増加を前提に設計されて来た。しかし数年前、2005年前後に頂点(1億2800万人)に達した後、減少に転じている。 では、毎朝出会う園児たちが後期高齢者になる70年後、2082年に、日本の健康教育とヘルスプロモーションはどうなっているだろうか。 国立社会保障・人口問題研究所は2060年までの人口を将来推計人口、その後を超長期推計人口として、推計値を公表している。同推計によれば1)、現在の人口割合が「年少13.1%、生産年齢63.8%、老年(65歳以上)23.0%」であるのに対し、2082年には「年少6.8~11.8%、生産年齢44.6~53.7%、老年34.5~48.6%」となる。年少人口と生産年齢人口は減少する一方で、老年人口は現在の1.5~2.1倍に増加する。現在の粗死亡率9.5は2070年代まで上昇を続け、2082年には現在の1.7~2.4倍(16.6~23.0)に達する。一方、現在の粗出生率8.5は減少が予測されるが、2082年の値は3.8~7.5と推計の幅が大きい。死亡率上昇と出生率減少の結果、総人口は現在から40%以上減少し、5300~7700万人になると予測される。 目前の園児が高齢者になるまでの今後70年間、社会はどう変貌し、人々の健康には何が起こるだろうか。上記の予測は極端な災害や危機を想定していない。しかし地球環境の激変が続く中、2011年の東日本大震災や原発事故のような大災害が、70年間に数回わが国を襲うことは予測に難くない。今後の激動期を生き抜くために、健康教育とヘルスプロモーションは何をすべきだろうか2)。 現在に至るまで、健康教育では働きかけの対象として「食事・運動・喫煙・ストレス」など生活習慣に関連した要因を取り上げ、行動科学・疫学・社会心理学などの実証主義的な基盤に立脚して、それらの要因に対し計画的な影響を及ぼすことを試みて来た。しかし死亡率が2倍、老年人口が1.5倍以上、そして人口が半減する今後の70年間には、健康に影響を与える要因の比重が、大きく変わる可能性がある。社会の個人化・情報化がさらに進行し、人々の生活習慣や行動は現在よりも予測しがたくなると考えられる。ますます少数化する若者と多数化する高齢者は、生活習慣に加えて「心・コミュニケーション・人生や生命の価値・生存の意義」などに関する問題を抱える場合が増えるだろう。人の内面や人と人との関係性に関連する要因に、より積極的に取り組むことが求められる。これまでの実証主義に加えて、個々人に内在する可能性や能力を見出し引き出す発育発達的な視点や、構成主義的な視点からの健康教育がより重要さを増すと考えられる3)。 政策的な対応の側面を持つヘルスプロモーションの役割も、今後拡大・変容するだろう。これまでわが国では、ヘルスプロモーションを主に健康的な公共政策や健康を支援する環境づくりと関連して位置付け、働きかけの対象としては、健康教育の場合と同様、生活習慣に焦点を当てて来た。しかし「少子高齢化と人口減少が著しい社会」、「縮小を続ける社会」、「若者が高齢者を支える従来型の政策対応に期待できない社会」を生き抜くためには、現在も拡大しつつある様々な社会格差を視野に入れた上で、社会の様々な状況において、多様な人々が相互に理解し、協力できる小さな場(セッティング)を育て、そのネットワークを創造し続けることが求められよう。2000年に開始され、現在第2次計画に移行しつつある健康日本21は、順調に改訂され続けるとすれば、2082年には第7ないし8次計画が実施されているはずである。第2次において「都道府県の格差解消」として現れた社会的格差への対応は、2082年には個人や小集団など身近な範囲で認知される格差から、消失しつつある国境を越えた格差にまで、対応が広がっているであろう。従来の地域社会や家庭・家族の消失を補う新たなセッティング・アプローチが、望まれている。 このように2012年現在から2082年を見通したとき、まず考えるべきは、私たちが働きかけの出発点としている知識や人間の有り様である。70年後の社会がどのように変貌しようと、社会性を持った存在である人間の本質は、それほど大きくは変わらないと考えられる。実証主義的な方向で、行動科学的な予測が可能な生活習慣に関連したエビデンスを蓄積することに加え、人の内面や人と人との関係性に関連する要因の有り様を観察し、発育発達的・構成主義的な視点3)で、健康に関連した内面の成長を捉え、人と人との関連性が生まれ育つ有り様の研究を続けることが、70年後の健康教育とヘルスプロモーションへの道を拓くと考えられる。 筆者は学生時代に恩師の影響で、構成主義の興味深さに魅せられて以来3)、紙と鉛筆的な方法で、人の内面を可視化することを試み4)、また可視化された結果から、さらに自他の理解が生まれ育つ様子を、アクションリサーチとして事例的に研究して来た4)。生活環境5)、世界観6)、精神性7)、ジェンダーと思春期8)、障害とバリアフリー9)、コミュニケーションと存在10)等々の概念や認識を可視化し意識化する経験から、「各人に内在する可能性や理解が、自身の振り返りや他者との交流を通して公共化され、自他の新たな理解が生まれる」という事実が指摘できる。WHOオタワ憲章が言う「未来に向けた動き:健康は、人々が学び、働き、遊び、愛し合う毎日の生活の場の中で、人々によって創造され、実現される。健康は、自分自身や他人をケアすることで創造され、自らの生活環境について意志決定できたりコントロールできたりすることで創造され、また、社会が、その構成員すべての健康を達成できるような状況を自ら作り出すことを保証することによって創造される」11)と極めて近い状況は、日々の生活の多様な場面に潜んでいる。そこに働きかけることで、そこに二人以上の人がいるなら、小さなセッティングが生まれることが実感されよう。 70年後とは遠い将来のように感じられるかもしれない。しかし園児が高齢者になるまでの期間と捉えるなら、70年後は目前に迫った未来である。健康教育とヘルスプロモーションを含む多くの分野において、柔軟で創造的な対応がなされなければ、私たちの未来は危うい。 2082年に日本健康教育学会はどのような学会になっているだろうか。生活習慣への働きかけをより洗練させた、さらに専門性の強い学会になっているだろうか。生活習慣からさらに福祉や社会開発などの隣接領域に探求と働きかけを拡げる、裾野の広い学会になっているだろうか。 文献
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